社会ニュース|判決を読み解く
津田健次郎の裁判結果はなぜ棄却?声のパブリシティ権とAIの線引き
2026年9月30日、声優の津田健次郎さんが、生成AIで自分の声をまねた動画の削除をTikTokの運営会社に求めた裁判で、東京地裁は請求を棄却しました。ところが同じ判決は、人の声も「パブリシティ権」で守られると、裁判所として初めて示しています。「権利は認めたのに請求は棄却」とはどういうことなのか。判決の中身を、法務省が8月に公表した143ページの解釈指針と、過去のパブリシティ権裁判の結末から読み解きます。
この記事の結論
- 裁判の結果は「請求棄却」です。東京地裁(高橋彩裁判長)は、問題の動画がアカウントごと削除済みだとして、削除を求めた津田さん側の請求を退けました。津田さん側は賠償を求めておらず、控訴しない方針です。
- それでも注目されるのは判決理由です。判決は「人の声は、肖像と同様に個人の人格の象徴」だとして、声の顧客吸引力をもっぱら利用する目的の無断使用はパブリシティ権の侵害にあたると、一般論として初めて示しました。
- 棄却は想定されていた結論でもあります。削除(差止め)は「いま起きている侵害を止める」ための請求なので、侵害が止まると必要性が否定されやすい。法務省の報告書が整理した過去の差止め請求5件でも、侵害が止まっていた3件はすべて認められませんでした。
- AI音声の線引きは、法務省の解釈指針(8月7日公表)がかなり具体的です。AIカバーやナレーション、ボイスメッセージは侵害の典型例、ものまね芸は原則セーフ、収益化していなくても拡散して本人に不利益を与えれば侵害になり得る、と整理しています。
- 残る課題は、声が似ていることの立証、投稿者の特定(今回は記録の保存期間切れで特定できず)、そして「声の権利」を定めた法律がまだないことです。
津田健次郎さんの裁判の結果は?判決のポイント
9月30日、東京地裁で判決が言い渡されたのは、声優の津田健次郎さんが動画共有アプリ「TikTok」の運営会社を訴えた裁判です。TikTok上の1つのアカウントが、生成AIで津田さんの声に似せたナレーションを付けた動画を投稿し続けていたとして、その削除を求めていました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 裁判所 | 東京地方裁判所(高橋彩裁判長) |
| 判決日 | 2026年9月30日 |
| 原告 | 声優・俳優の津田健次郎さん(『呪術廻戦』の七海建人、『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』の海馬瀬人などで知られる) |
| 被告 | 動画共有アプリ「TikTok」を運営するシンガポール法人 |
| 求めたこと | 生成AIで津田さんの声をまねたナレーション付き動画の削除。損害賠償は最初から求めていない |
| 主な主張 | パブリシティ権の侵害、不正競争防止法違反など |
| 結論(主文) | 請求棄却。動画のデータがアカウントごと削除されているため |
| 判断(理由) | 人の声もパブリシティ権の保護対象。声の顧客吸引力をもっぱら利用する目的の無断使用は侵害にあたる。津田さんの権利が侵害されたかどうかは判断していない |
| 判決後 | 津田さん側は控訴しない方針。TikTok側は「裁判所の判断を尊重しつつ、内容を精査した上で今後の対応を検討する」とコメント |
問題のアカウントは、都市伝説や雑学、動物の話題などを1分ほどのショート動画で紹介するもので、ナレーションの声が津田さんにそっくりだとコメント欄でも話題になっていました。15か月で188本、月12.5本のペースです。TikTokには再生回数に応じてお金が支払われる仕組みがあり、津田さん側は投稿者が月50万〜75万円を得ていたと主張しました。これに対しTikTok側は、ナレーションは投稿者が友人の声をAIに学習させて作った「普遍的な男性の声」で、津田さんの声とは似ていないと反論していました。
判決が示した「声」の考え方
判決の核心は、結論よりも理由の部分にあります。報道によると、高橋裁判長は次のように述べました。
人の声は、肖像と同様に個人の人格の象徴だ――判決理由の要旨(時事通信の報道から)
そのうえで、声優などの声に商品の販売などを促す「顧客吸引力」があり、もっぱらその顧客吸引力を利用する目的で無断使用した場合は、パブリシティ権の侵害にあたるとしました。これは、2012年に最高裁がピンク・レディー事件で示した「氏名や肖像」についての判断の枠組みを、声にもそのまま当てはめたものです。
「初判断」とは何が初めてなのか
声がパブリシティ権に含まれるという考え方そのものは、実は新しくありません。2012年の最高裁判決を担当した調査官の解説は、「肖像等」の「等」に声が含まれると明記していましたし、政府の検討会も2024年に同じ整理をしています。ただ、それを裁判所が判決の中で示した例はありませんでした。時事通信は法務省が報告書を出した8月7日の時点で「声の権利に関する裁判所の判断例はなく」と伝えています。原告代理人の平野敬弁護士は判決後、声がパブリシティ権の範囲に入ると明示した判決としては「初めてになる」と話しました。
なぜ棄却?「声の権利は認めたのに請求棄却」の理由
「声の権利を認めたのに、なぜ津田さんの請求は通らなかったのか」。判決のニュースを見て、多くの人がこう感じたはずです。理由は、津田さん側が裁判で何を求めていたかにあります。
求めていたのは「動画の削除」だけだった
津田さん側がTikTokの運営会社に求めたのは、問題の動画の削除だけでした。損害賠償については「金銭を目的とするものではない」として、最初から請求していません。ところが審理が続いていた2026年5月ごろ、投稿者自身がアカウントごと動画を削除しました。消すべき動画がもう存在しない以上、裁判所が削除を命じる理由がなくなった、というのが棄却の理由です。
削除の請求は、法律の世界では「差止め請求」の一種です。差止めは、いま行われている侵害をやめさせるか、これから起きる侵害を予防するためのものなので、その必要性がなければ認められません。代理人の平野弁護士も判決後、アカウントごとすべての動画が削除されたことで「当初の目的は完全に達成した」と説明しています。
「却下」ではなく「棄却」だった
TikTok側は、動画が消えたあと、訴えそのものを退ける「却下」も求めていました。却下は、訴えの要件が欠けているとして中身に入らずに終わらせる、いわゆる門前払いです。一方の棄却は、中身を審理したうえで請求を認めないという結論です。今回の判決は棄却で、その理由の中で、声がパブリシティ権で守られるかどうかという論点に踏み込みました。
過去の判決も「侵害が止まれば差止めなし」
法務省の検討会が8月にまとめた報告書は、2012年のピンク・レディー事件以降に差止めの可否が争われた判決を一覧にしています。これを時系列に並べ、今回の判決を加えたのが次の表です。
| 判決 | 使われ方 | 差止め | 理由の要旨 |
|---|---|---|---|
| 東京地裁 2013年4月26日ENJOY MAX事件 | 雑誌のグラビア | 認めず | 雑誌は絶版で在庫もなく、差止めの必要性がない |
| 知財高裁 2013年10月16日嵐ら事件 | 写真を使った書籍 | 認めた | 出版社が販売を続け、権利侵害も否定していた |
| 知財高裁 2020年2月20日ジル・スチュアート事件 | ウェブサイトへの掲載 | 認めず | 問題のページを削除済みで、再び載せるとは考えにくい |
| 東京地裁 2023年11月30日ENRIKE事件 | 商号・ドメイン・ウェブサイト | 認めた | 無断使用を現在まで続けていた |
| 知財高裁 2024年1月24日(事件名なし) | 商品の広告記事 | 認めず | 関係先から広告記事を削除した報告があり、残っている事情もない |
| 東京地裁 2026年9月30日津田健次郎さんの裁判 | SNSの動画(声) | 認めず | 動画がアカウントごと削除済み |
差止めが認められた2件は、どちらも相手が無断使用を続けていたケースです。反対に、雑誌が絶版になっていた、ページや広告を消していたなど、侵害がすでに止まっていた3件はすべて認められていません。報告書も、侵害をやめていて将来のおそれも乏しい場合は「必要性が否定される傾向にある」とまとめています。津田さんの裁判は、この流れのとおりの結論になりました。
判決の「重み」を正しく読む
今回、声がパブリシティ権で守られると述べたのは、主文(結論)ではなく判決理由の一般論です。判決理由の一般論は、ほかの事件を担当する裁判所をしばるものではありません。しかも地裁の判決なので、最高裁の判例のような重みはありません。それでも、声が保護対象になると明示した判決が1つできたことで、同じような裁判では「すでにこう判断した判決がある」と主張しやすくなります。平野弁護士も「今後同様の裁判をするとき、この部分を生かして主張しやすくなったかもしれない」と評価しています。
津田さん側が控訴しなければ、判決は控訴期間(判決書の送達を受けた日から2週間)が過ぎた時点で確定します。勝訴した被告側が、判決理由の中身だけを不服として控訴することは原則としてできません。
津田健次郎さんの裁判の経過|投稿開始から判決まで2年2か月
問題の投稿が始まってから判決が出るまでには、2年あまりかかっています。途中で投稿者の特定に失敗していることが、この事件の難しさをよく表しています。
- 2024年7月問題のアカウントが投稿を始める津田さんが『呪術廻戦』で演じたキャラクターに似たアイコンを使い、津田さんに似た声のナレーションで都市伝説などを紹介する動画を投稿し始めた(平野弁護士)。
- 2024年10月声優26人が「NOMORE無断生成AI」を立ち上げ中尾隆聖さん、山寺宏一さん、梶裕貴さんら声優有志が、無断で声を学習・生成するAIに反対し、ルールづくりを呼びかけた。
- 2025年1月フォロワーが10万人に平均再生回数は約147万回、収益は月70万円ほどとみられる(平野弁護士)。
- 2025年6月投稿者を特定するため情報開示を申し立て8月に開示命令が出たものの、開示されたIPアドレスは記録(ログ)の保存期間が過ぎており、投稿者は特定できなかった。
- 2025年9月TikTokに削除を求めるが応じず裁判外で削除を要請したが、TikTok側は応じなかった。投稿はこの月まで続き、計188本に。
- 2025年11月東京地裁に提訴提訴の時点でアカウントのフォロワーは21万人を超えていた。
- 2026年4月24日法務省の検討会が初会合生成AIによる肖像や声の無断利用について、民事上の責任を整理する有識者検討会(座長・田村善之東大教授)。7月27日まで5回開いた。
- 2026年5月提訴が明らかに/投稿者がアカウントを削除5月下旬に提訴が報道され、日本俳優連合が「勇気あるアクションを支持します」と声明。5月ごろ、投稿者が自らアカウントを削除した。
- 2026年8月7日法務省が報告書(解釈指針)を公表声も肖像と同じく、パブリシティ権などの保護対象になると明記した。
- 2026年9月30日東京地裁が判決請求は棄却。声もパブリシティ権の保護対象になると、裁判所として初めて判断した。
注目したいのは2025年の情報開示です。裁判所の開示命令までは得られたのに、通信会社などに残る接続記録(ログ)の保存期間が過ぎていて、投稿者にたどり着けませんでした。その結果、津田さん側は投稿者本人ではなく、TikTokの運営会社を相手に削除を求めるしかなかったことになります。
声のパブリシティ権とは?ピンク・レディー判決の3類型
パブリシティ権は、有名人の名前や姿が持つ「人を引きつける力」、法律用語でいう顧客吸引力を、本人が独占して使える権利です。法律の条文にはどこにも書かれておらず、裁判の積み重ねで認められてきました。決定打になったのが、2012年2月2日の最高裁判決(ピンク・レディー事件)です。
最高裁は、人の「氏名、肖像等」が持つ顧客吸引力を排他的に利用する権利をパブリシティ権と呼び、人格権に由来する権利だと位置づけました。一方で、有名人は報道や論評、創作などで取り上げられることも受け入れるべき立場にあるため、侵害になるのは「専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とする」場合に限られるとして、その典型を3つの類型で示しました。
| 類型 | 最高裁が示した形(典型例) | 声の場合の典型例(法務省の報告書) |
|---|---|---|
| 第1類型 | 肖像等それ自体を、独立して鑑賞の対象となる商品として使う(ブロマイド、ポスター、グラビア) | ボイスメッセージ、ボイススタンプ、オーディオブック、AIカバー、ナレーション、声が聞ける目覚まし時計、カーナビ、スマートスピーカーなど報告書は第1類型と第2類型の典型例をまとめて挙げており、どちらに入るかは第2類型の理解によって異なるとしている |
| 第2類型 | 商品の差別化を図る目的で肖像等を商品に付ける(Tシャツやマグカップなどのキャラクター商品) | (第1類型の欄にまとめて例示) |
| 第3類型 | 肖像等を商品の広告として使う(テレビやウェブの広告、SNSのなりすまし広告) | 広告のナレーション、SNSで声を使ったなりすまし広告 |
最高裁の判決文は「氏名、肖像等」としか書いておらず、声が入るのかどうかは明記されていませんでした。その「等」に声が入るという理解が、判決から14年かけて少しずつ固まってきた流れを整理すると、次のようになります。
| 時期 | どこが示したか | 声の扱い |
|---|---|---|
| 2012年2月 | 最高裁判決(ピンク・レディー事件)と担当調査官の解説 | 判決は「氏名、肖像等」。解説は、「肖像等」は本人を見分ける情報で、サインや署名、ペンネーム、芸名などとともに声も含まれると明記 |
| 2024年5月 | 内閣府「AI時代の知的財産権検討会」中間とりまとめ | 3類型にあたる使い方ならパブリシティ権で保護できる。一方、判例の肖像権は「容ぼう等」が対象で、声まで守られる可能性は高くないと整理 |
| 2026年8月 | 法務省の検討会の取りまとめ報告書 | 声はパブリシティ権の保護対象になると明記。さらに「声をみだりに利用されない権利」という人格的な利益も認める整理に踏み込んだ |
| 2026年9月 | 東京地裁(津田健次郎さんの裁判) | 声もパブリシティ権の保護対象と、判決で初めて明示 |
声は著作権では守れないのか
「声をまねされたなら著作権の問題では」と考える人もいるかもしれません。ところが、声そのものは著作権では守られません。内閣府の検討会の中間とりまとめによると、声優の演技は著作権法の「実演」として著作隣接権で保護されるものの、守られるのはあくまで実演であって「声」そのものではありません。しかも、AIに実演を学習させる行為には著作権法30条の4が準用されるため、同条が当てはまる範囲では原則として許諾がいりません。
つまり、録音された演技をそのままコピーすれば問題になっても、声質だけを学習して新しい文章を読ませたAI音声には、著作権の枠組みが届きにくいのです。声優の関俊彦さんは2024年、「声優としては音声のみの利用に関しては著作権法違反で訴えられない」と話していました。パブリシティ権が「声の権利」の受け皿として注目されてきたのは、このためです。
AI音声はどこから違法?法務省の指針で見る12の線引き
では、AIで有名人の声をまねると、どこからがアウトなのでしょうか。いちばん具体的な物差しは、法務省の検討会が8月7日に公表した報告書です。副題は「生成AIによるパブリシティ権侵害等に関する解釈指針」。知的財産法や民法の研究者、弁護士の計8人が、想定事例を1つずつ検討しています。法務省は、法曹関係者や権利者、事業者に「広く参照してほしい」としています。
報告書と概要資料から、声にかかわる主なケースを12に整理しました。そのうち9つが「侵害になり得る」またはそれ以上の整理で、はっきり「原則セーフ」とされたのは、ものまね芸だけです。
| ケース | 判定 | 法務省の報告書の整理 |
|---|---|---|
| 有名声優に似せたAIナレーションで動画を収益化(今回の事件の型) | 侵害になり得る | ナレーションは侵害の典型例。SNSで公開して広告収入などを得れば「商品等」にあたる。投稿者だけでなく、SNSの運営会社にも投稿の削除を求められる |
| 「AI○○に歌わせてみた」などのAIカバーを収益化 | 侵害になり得る | 視聴者は本人の歌声を目当てに聞くので第1類型と評価できる。本人の名前やキャラクター名をタイトルに付けることは「本人の声の使用」を認める材料になる |
| ボイスメッセージ・ボイススタンプ・オーディオブック・声が聞ける目覚まし時計 | 侵害になり得る | 声そのものを商品にする典型例(第1類型・第2類型) |
| カーナビやスマートスピーカーの音声 | 侵害になり得る | 同じく典型例に挙がっている(第1類型・第2類型) |
| 広告のナレーション、声を使ったなりすまし広告 | 侵害になり得る | 声を広告に使う形(第3類型) |
| 収益化していない「興味本位」の投稿 | 侵害になり得る | 3類型にはあたらないが、再生数やフォロワー集めのために拡散し、本人に営業上の不利益を生じさせれば「など」としてパブリシティ権の侵害と評価できる(異なる立場もある)。「声をみだりに利用されない権利」の侵害にもなり得て、収益目的がないことは否定の理由にならない |
| ものまね芸人の声まね | 原則セーフ | 芸人自身の声で、芸の力で人の目を引くものなので、本人の顧客吸引力をもっぱら利用するとはいえない。ただし、本人だと誤解されるような場合は侵害の余地がある |
| わいせつな文章を読ませる合成音声 | 侵害の可能性が高い | 名誉感情や私生活の平穏を害し、「声をみだりに利用されない権利」の侵害。一般人の声でも大きな差はない |
| 特定の声優の声を出せることを売りにした有料AIサービス | 侵害になり得る | 3類型に準ずる「など」に含まれ、サービスの差止めを求められる。サービス事業者が利用者と連帯して賠償責任を負う可能性もある |
| 特定の声優の声に特化した学習用データセットの販売 | 侵害になり得る | 第1類型か、それに近い「など」にあたり得る。「この声を学習できる」と宣伝すれば第3類型にも |
| 特定の声を出すためのAIの学習そのもの | 意見が割れた | 侵害と評価できるという意見と、難しいという意見で一致しなかった。ただし侵害を防ぐ必要があれば差止め(侵害予防)の請求はできるとした |
| 亡くなった人の声を使ったAI音声 | 見解が分かれる | パブリシティ権が相続されるかは見解が分かれる。遺族の「敬愛追慕の情」を侵害する可能性がある |
判断のポイントは2つあります。1つ目は、その声が本人のものだと分かるかです。AIで作った声は本人と完全に同じにはならないので、声質の似かたに加えて、タイトルや説明文、キャラクター名など「本人を思い起こさせる情報」も合わせて判断します。今回の事件で問題のアカウントが、津田さんの演じた役に似たアイコンを使っていたのは、まさにこの点にかかわる事情です。
2つ目は、もっぱら声の魅力で客を集めているかです。ありふれた雑学動画でも、有名声優の声で読み上げることで再生数を稼いでいるなら、声の顧客吸引力を利用しているといえます。津田さん側も裁判で、動画は「ありふれた雑学を著名な声優の声で読み上げさせることで商品価値をつけ」ていると主張していました。
この表は「法律」ではありません
ここで紹介したのは、法務省の検討会による解釈の整理です。実際に権利侵害になるかどうかは、声の似かた、本人を示す情報の有無、使い方などを総合して、裁判所が1件ずつ判断します。また、パブリシティ権が問題になるのは基本的に顧客吸引力がある有名人の声ですが、性的な合成音声のように、一般の人の声でも「声をみだりに利用されない権利」の侵害になり得るケースがあります。
もし賠償を求めていたら?パブリシティ権裁判8件の賠償額
津田さん側は賠償を求めませんでしたが、パブリシティ権の侵害が認められると、どのくらいの賠償になるのでしょうか。法務省の報告書は、近年の判決8件で損害額がどう計算されたかを一覧にしています。
| 判決 | 使われ方 | 認められた額 | 算定の考え方 |
|---|---|---|---|
| 東京地裁 2010年10月21日ペ・ヨンジュン事件 | 雑誌 | 400万円 | 許諾していれば受け取れた額。単価580円・4万1275冊などを総合考慮 |
| 東京地裁 2013年4月26日ENJOY MAX事件 | 雑誌のグラビア | 1人7万7000円〜160万1699円 | 価格×部数×掲載ページの割合×使用料率20%(表紙30%)。弁護士費用なども含む |
| 知財高裁 2013年10月16日嵐ら事件 | 写真を使った書籍 | 1人306万5833円〜781万833円 | 本体価格の10%×発行部数 |
| 大阪高裁 2017年11月16日Ritmix事件 | ウェブサイトの画像 | 月10万円 | 相手が示した対価(月6万円までの商品提供)を上回る額 |
| 知財高裁 2020年2月20日ジル・スチュアート事件 | 契約終了後のサイト掲載 | 約3年半で100万円 | 売上への貢献はごくわずかとして相当額を認定 |
| 知財高裁 2023年9月13日FEST VAINQUEUR事件 | 契約終了後のグッズ販売 | 1人1万2000円 | グッズ収入×契約上のロイヤリティ率35% |
| 知財高裁 2024年1月24日(事件名なし) | 契約終了後の広告 | 47万5000円 | 1日2万5000円×無断利用19日 |
| 知財高裁 2025年8月28日Rちゃん事件 | 動画の店頭放映 | 200万円 | 1本100万円×2本。タイアップ費用300万〜400万円などを考慮 |
金額は1人1万2000円から約781万円まで、事件によって大きく違います。共通しているのは、損害の中心が「もし許諾していたら受け取れたはずの使用料」だという点です。報告書によると、ピンク・レディー事件の判決以降、パブリシティ権の侵害で慰謝料(精神的な損害)を認めた裁判例は見当たりません。
ただし、声の場合はほかの道もあります。報告書は、パブリシティ権とは別に「声をみだりに利用されない権利」の侵害が成り立てば慰謝料を請求できるとしています。また、本人の動画配信の収入が落ちたような場合には、相手がAI動画で得た利益の額を損害額と推定するよう主張する方法(著作権法114条2項の類推)も考えられるとしています。今回のように投稿者が月に数十万円を稼いでいたと主張されるケースでは、投稿者を特定できるかどうかが、賠償を求められるかどうかの分かれ目になります。
声を無断で使われたら?削除・開示の手順と「ログの壁」
今回の事件は、声を無断で使われた人が実際にどう動けるのか、そしてどこでつまずくのかを示しています。報告書と関連する制度から、手順を整理します。
- SNSの運営会社に削除を申し出るTikTokを提供するTikTok Pte. Ltd.は、2025年4月30日に「情報流通プラットフォーム対処法」の大規模特定電気通信役務提供者に指定されました。YouTube、X、Instagramなどの運営会社も同じ指定を受けています。指定された事業者には、削除の申し出を受けてから原則7日以内に判断して通知する義務があります。ただ、削除するかどうかは事業者の判断で、津田さんのケースでは応じてもらえませんでした。
- 投稿者を特定する(発信者情報開示命令)裁判所の手続きで、投稿者のIPアドレスなどの開示を求めます。ここで壁になるのが通信記録(ログ)の保存期間です。津田さん側は開示命令まで得たのに、記録が残っておらず投稿者を特定できませんでした。気づいたら早く動くことが何より大切です。手続きの流れや費用はSNS誹謗中傷の開示請求とは?申立て1万件超の理由と流れ・費用で詳しく解説しています。
- 裁判で削除や賠償を求める報告書は、パブリシティ権を侵害する投稿の削除を、投稿者だけでなくSNSを管理運営する事業者に対しても求められると整理しています。賠償を請求する相手は、基本的に投稿者本人です。
- 声が似ていることを証明する声の類似を証明する責任は訴える側にあります。平野弁護士は、裁判の記録は書面と言葉が中心で、音声の似かたとは「すごく相性が悪い」と説明していました。津田さん側は複数の深層学習モデルで音声を解析・比較し、解析に使ったプログラムのコードまで証拠として出したといいます。
なお、生成AIの音声で本人になりすましてお金をだまし取ったり、業務を妨害したりすれば、民事の責任とは別に、詐欺罪や偽計業務妨害罪などの刑事責任が問われる可能性もあります(内閣府の検討会の中間とりまとめ)。
今後の焦点|「声の権利」を法律に書き込む議論へ
判決を受けて、声優の業界団体からは歓迎の声が相次ぎました。日本俳優連合は公式Xで津田さんの活動を支持し、その勇気に感謝すると投稿し、判決文の全文を確認したうえで後日あらためてコメントするとしています。約50社の声優プロダクションでつくる日本声優事業社協議会の担当者は、時事通信の取材に、無断模倣が権利侵害になり得るとした裁判例が出たのは「大事な一歩だ」と話しました。声優の梶裕貴さんも自身のXで、目的だった動画の削除が実現した点が大切だと指摘し、「津田さんのアクションに心からの敬意を」とつづっています。梶さんは本人公認の音声AI「そよぎフラクタル」を手がけ、AIとの共存の形を探ってきた一人です。両者の投稿は、次の章で紹介します。
一方で、パブリシティ権は判例で認められた権利にとどまり、「声の権利」を正面から定めた法律はまだありません。政府の「知的財産推進計画2026」は、ガイドラインの作成とあわせて、より確実な権利保護に向け不正競争防止法の改正を含む法整備(ハードロー)の必要性も議論を続けるとしています。海外では、アメリカのテネシー州が2024年3月、肖像などを守る州法を改正し、保護の対象に「声」を加えました(通称ELVIS法)。
- 判決の確定:津田さん側は控訴しない方針。控訴期間が過ぎれば確定します。
- 判決文の公開:判決理由の全文が明らかになれば、声の類似をどう判断する考えなのかなど、より細かな論点が見えてきます。
- 業界団体の公式見解:日本俳優連合が判決文を確認したうえでコメントを出す予定です。
- 法改正の議論:不正競争防止法の改正など、声を明文で守る仕組みが検討されるかどうか。
- 次の裁判:今回は侵害の有無が判断されませんでした。AI音声が本人の声と「似ている」と裁判所が認めるのはどんな場合か。それが示されるのは、次に同じような裁判で判決が出たときになります。
新しい動きがあれば、この記事に追記します。
判決へのSNSの反応|日本俳優連合と梶裕貴さんの投稿
判決の直後から、Xでは声優の業界団体や声優本人の投稿が大きく広がりました。9月30日23時の時点で、日本俳優連合の投稿には約4万8000件、梶裕貴さんの投稿には約5万件の「いいね」が付いています。
日本俳優連合「津田さんの活動を支持し、その勇気に感謝」
声優や俳優でつくる協同組合の公式アカウントは、判決当日の15時すぎに投稿しました。判決文の全文を確認したうえで、後日ホームページで改めてコメントするとしています。
本日、津田健次郎さんの裁判に判決が出されました。
津田さんの活動を支持し、その勇気に感謝いたします。
この期間の心労は並大抵のものではなかったとお察しします。弊連合は正式な判決文全文を確認させていただき、改めて後日HPにてコメントいたします。#NOMORE無断生成AI
— 日本俳優連合(JAU / 日俳連)公式 (@JAU_Official) September 30, 2026
梶裕貴さん「目的は達成に至っている、という点が大切」
「NOMORE無断生成AI」に参加する声優の梶裕貴さんは、請求は棄却されたものの、当初の「対象の投稿の削除」という目的は達成されている点が大切だと投稿しました。
まず、今回の判決においては請求棄却という形になりましたが、当初の「対象の投稿の削除」という目的は達成に至っている、という点が大切と考えます。
その上で、津田さんのアクションに心からの敬意を。
人それぞれ形は違えど、無断生成撲滅への想いは同じはずです。…
— 梶裕貴 Yuki Kaji (@KAJI__OFFICIAL) September 30, 2026
判決の速報と、法務省の解釈指針の告知
判決の速報では、ライブドアニュースの投稿に1万件を超える「いいね」が付きました。判決に先立つ8月7日には、法務省が公式アカウントで解釈指針(取りまとめ報告書)の公表を告知しています。
【訴訟】声が「パブリシティ権」の保護対象と認める判決 津田健次郎の訴え退けるも東京地裁が初判断https://t.co/fdvuRw8NKw
東京地裁は、TikTok動画がすでに削除されているとして津田側の訴えを退けた一方、声が「パブリシティ権」の保護の対象になるとの初めての判断を示した。
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 30, 2026
【「肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会取りまとめ報告書―生成AIによるパブリシティ権侵害等に関する解釈指針―」の公表について】
法務省は、本日、上記検討会における議論の結果を踏まえた取りまとめ報告書を公表いたしました。https://t.co/8SSlOy1CWq pic.twitter.com/KSlkLwXxJE
— 法務省 (@MOJ_HOUMU) August 7, 2026
津田健次郎さんの裁判・声の権利についてよくある質問
Q. 津田健次郎さんの裁判の結果はどうなりましたか?
A. 2026年9月30日、東京地裁は津田さん側の請求を棄却しました。一方で、判決は理由の中で、人の声もパブリシティ権の保護対象になるという初めての判断を示しました。津田さん側は控訴しない方針です。
Q. 声の権利を認めたのに、なぜ棄却されたのですか?
A. 津田さん側が求めていたのは動画の削除だけで、問題のアカウントは審理中の2026年5月ごろに投稿者自身が削除していたためです。消すべき動画がなく、削除を命じる必要がなくなりました。津田さんの権利が侵害されたかどうかは判断されていません。
Q. 声のパブリシティ権とは何ですか?
A. 有名人の声が持つ、人を引きつける力(顧客吸引力)を本人が独占して使える権利です。法律の条文はなく、2012年の最高裁判決(ピンク・レディー事件)が認めたパブリシティ権の対象に声も含まれると、今回の判決が示しました。
Q. AIで有名人の声をまねた動画を投稿すると違法ですか?
A. 法務省の解釈指針では、有名人の声に似せたAI音声で動画を収益化し、声の魅力で再生を集めるような使い方はパブリシティ権の侵害になり得るとされています。収益化していなくても、拡散して本人に営業上の不利益を与えた場合などは侵害と評価される可能性があります。最終的な判断は裁判所が個別に行います。
Q. ものまね芸人の声まねもダメになりますか?
A. 法務省の解釈指針では、ものまねや声まねは芸人自身の声で芸の力によって人の目を引くものなので、原則としてパブリシティ権の侵害にはならないとされています。ただし、本人の声だと誤解されるような使い方は侵害の余地があります。
Q. 一般人の声も法律で守られますか?
A. パブリシティ権は顧客吸引力が前提なので、主に有名人の権利です。一方、法務省の解釈指針は「声をみだりに利用されない権利」を認める整理をしており、わいせつな文章を読ませる合成音声などは、一般の人の声でも権利侵害になり得るとしています。
Q. 津田さんは控訴しますか?
A. 控訴しない方針です。代理人の弁護士は、アカウントごとすべての動画が削除されたことで当初の目的は完全に達成したと説明しています。控訴期間が過ぎれば判決は確定します。
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出典・参考資料
- 法務省:肖像、声等の無断利用による民事責任の在り方に関する検討会/取りまとめ報告書―生成AIによるパブリシティ権侵害等に関する解釈指針―/同 概要資料(2026年8月)
- 最高裁判所:平成21年(受)第2056号 損害賠償請求事件(ピンク・レディー事件)(2012年2月2日 第一小法廷判決)
- 内閣府 AI時代の知的財産権検討会:中間とりまとめ(2024年5月、「声の保護」55〜57頁)
- 総務省:情報流通プラットフォーム対処法第20条第1項に基づく大規模特定電気通信役務提供者の指定(2025年4月30日)
- e-Gov法令検索:民事訴訟法(第285条)/特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律
- 日本俳優連合:法務省 生成AIによるパブリシティ権侵害等に関する指針について
- 弁護士ドットコムニュース:津田健次郎さんの「声」を生成AIで無断模倣、東京地裁が「パブリシティ権」の対象と初判断…請求棄却でも残した意義/「AIで声を模倣された」津田健次郎さん、TikTok運営会社への削除請求を棄却 東京地裁(2026年9月30日)
- 時事通信:声にも「パブリシティー権」初判断=生成AIで模倣、人気声優訴え―削除請求は退ける・東京地裁/声の権利保護「声優に追い風」 生成AI模倣巡る判決に―業界団体(2026年9月30日)/「声」の権利、保護対象に 法務省検討会が報告書(2026年8月7日)
- 朝日新聞:「声のパブリシティー権」認める判決 声優の津田健次郎さんの裁判(2026年9月30日)
- 毎日新聞(Yahoo!ニュース):人気声優・津田健次郎さんの請求棄却 「声模倣」動画は既に削除(2026年9月30日)
- サンケイスポーツ:梶裕貴「津田さんのアクションに心からの敬意を」「AIで声模倣」津田健次郎の訴訟判決に言及(2026年9月30日)
- 東京新聞:AI声模倣への「抑止力に」 津田健次郎さん訴訟で「パブリシティー権」認める初判断(2026年9月30日)/「あまりにもツダケン」なAIボイス、再生1000万回も(2026年5月27日)
- 日本経済新聞:声にもパブリシティー権、初の司法判断 津田健次郎さんの請求は棄却(2026年9月30日)
- NHK:声の無断使用は「パブリシティ権の侵害」の初判断(2026年9月30日)
- ITmedia AI+:声優が呼び掛ける「NOMORE無断生成AI」 第1弾の動画と公式サイトを公開(2024年10月22日)/インサイド:声優有志26人による「NOMORE無断生成AIの会」発足(2024年10月16日)
- Tennessee Office of the Governor:Gov. Lee Signs ELVIS Act Into Law(2024年3月21日)
判決の内容は、2026年9月30日時点の報道にもとづきます(判決文は未公開)。過去の差止め・賠償の判決一覧は、法務省の取りまとめ報告書(33〜39頁)の表をもとに筆者が時系列に並べ替え、要旨を短くまとめたものです。「AI音声の線引き」は同報告書と概要資料の想定事例・典型例を筆者が12のケースに整理したもので、法的な助言ではありません。個別の事案は弁護士などの専門家に相談してください。アイキャッチ背景:Will Fisher「Neumann U87 Condenser Microphone – Studio A, In Your Ear Studios」(Wikimedia Commons、CC BY-SA 2.0)をトリミング・明るさ調整・文字入れ。


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