体長わずか1センチほどのベニクラゲは、大人になってから子どもの姿に戻れる、地球上でただ1種の多細胞動物です。京都大学の研究者は同じ1個体を連続14回若返らせることに成功し、2022年にはゲノム解読によってその仕組みの一端が見えてきました。この記事では、ベニクラゲが若返る手順、研究でどこまで分かったのか、そして「不老不死」という言葉が何を意味しているのかを、正確に解説します。
約1cm
14回若返らせた
ゲノム解読
わけではない
ベニクラゲとは? 1cmの体に世界唯一の能力を持つクラゲ
ベニクラゲは、刺胞動物のヒドロ虫綱に分類される小さなクラゲです。かさの大きさは1センチほどで、透明な体の中心に赤い胃が透けて見えることから「紅クラゲ」の名がつきました。日本を含む世界の温かい海に広く分布しています。
特別なのは、その生活環です。ふつうのクラゲは、岩などに固着したポリプという子どもの姿から泳ぐクラゲになり、繁殖したあとは老いて死んでいきます。時間は一方通行です。
ところがベニクラゲは、大人のクラゲからポリプへ逆戻りできます。これは「若返り」や「生活環の逆転(life cycle reversal)」と呼ばれ、繰り返し若返ることが実験室で証明されている多細胞動物は、いまのところこの仲間だけです。
どうやって若返るのか|3ステップで起きていること
ステップ1|命の危機がスイッチになる
若返りは、いつでも起きるわけではありません。水温の急上昇、ケガ、飢餓など、命に関わるストレスがきっかけになります。追いつめられたときに発動する、最終手段のような仕組みです。
ステップ2|団子のように縮む
危機を感じたベニクラゲは、かさや触手を縮めて団子のような塊(シスト)になります。もはやクラゲの形をしていません。この段階で、体の細胞が大がかりに作り替えられます。
ステップ3|走根が伸びて、ポリプに戻る
塊から走根(そうこん)と呼ばれる根のような組織が伸び、そこから子どもの姿であるポリプが再びできあがります。ポリプはやがて出芽して新しいクラゲを生み出し、人生をやり直します。
この過程で起きているのが分化転換(トランスディファレンシエーション)です。すでに役割が決まっていた筋肉や神経の細胞が、いったん役割を捨てて別の細胞に変わります。人間の体では厳しく禁じられている現象で、ベニクラゲ研究が注目される最大の理由です。
同じ1匹を14回若返らせた日本の研究
ベニクラゲ研究で世界的に知られるのが、京都大学でクラゲの研究を続けてきた久保田信氏です。チチュウカイベニクラゲを飼育し、針でつつくなどの刺激を与えて若返りを誘発する手法を確立しました。
その結果、同じ1個体を連続14回にわたって若返らせることに成功しています。1匹のクラゲが14回、大人から子どもへ戻ったということです。
久保田氏は2018年7月に和歌山県白浜町でベニクラゲ再生生物学体験研究所を設立し、飼育と研究を続けています。「なぜ若返るのか」の解明は、この地道な飼育の積み重ねの上に成り立っています。
2022年、ゲノムが読まれて見えてきたこと
若返る種と、若返らない種を比べた
2022年8月、スペインのオビエド大学などのチームが米科学アカデミー紀要(PNAS)に発表した研究は、非常に賢いやり方をとりました。若返るベニクラゲ(Turritopsis dohrnii)と、若返らない近縁種(Turritopsis rubra)のゲノムを並べて比較したのです。
その結果、若返る種では次の働きに関わる遺伝子に変異や重複(コピー数の増加)が見つかりました。
- DNAの複製と修復/傷ついた遺伝情報を直す力
- テロメアの維持/細胞分裂のたびに短くなる染色体末端を保つ力
- 酸化還元環境の制御/老化の原因とされる酸化ストレスへの備え
- 幹細胞集団の維持/何にでもなれる細胞を保っておく力
- 細胞間コミュニケーション/体全体で足並みをそろえる仕組み
若返りの最中に、遺伝子のスイッチが切り替わる
さらに、若返りが進行している最中の遺伝子の働きを調べたところ、細胞の役割を固定しておく仕組み(ポリコーム抑制複合体2)の標的が抑え込まれ、代わりに多能性(どんな細胞にもなれる状態)に関わる遺伝子が活性化していました。「大人の細胞」というロックが外れ、子どもの細胞に戻れる状態になる、というイメージです。
同じ2022年の12月には、日本でもかずさDNA研究所・東京電機大学・ベニクラゲ再生生物学体験研究所の共同研究により、日本産ベニクラゲのゲノム解読が発表されています。
「不老不死」の正しい意味|絶対に死なないわけではない
ここが最も誤解されている点です。ベニクラゲは「絶対に死なない」動物ではありません。
生物学でいう不老不死(biologically immortal)とは、老化が原因で死ぬ必然性がないという意味です。実際には、魚に食べられれば死にますし、病気にかかっても死にます。海の中では、大半の個体が若返る前に食べられていると考えられます。
さらに、野生のベニクラゲが実際に何年生きたのかという記録は存在しません。14回という数字も、あくまで飼育下で人が刺激を与えて確認できた回数です。「何千年も生きている個体がいる」といった話には、裏づけがありません。
よく知られた動物の話には、こうした「実は事実ではないもの」が少なくありません。動物の誤解25選もあわせてどうぞ。
人間に応用できないのはなぜか
「その仕組みを人間にも」と考えたくなりますが、壁は高いままです。理由は大きく2つあります。
ひとつは体の複雑さの違いです。ベニクラゲの体は数千個規模の細胞でできた、きわめてシンプルな構造です。脳も骨も内臓のセットもありません。作り直すのが人間よりはるかに簡単なのです。
もうひとつは分化転換のリスクです。哺乳類の体では、細胞が勝手に役割を変えないよう何重にもロックがかかっています。このロックが外れて細胞が無秩序に増える状態こそ、がんだからです。ベニクラゲにできて人間にできないのではなく、人間は意図的にそれを封じることで大きな体を維持していると言ったほうが正確です。
それでも、DNA修復やテロメア維持、幹細胞の管理といった個々のテーマは、老化研究にとって重要なヒントであり続けています。
ベニクラゲはどこで見られる?
ベニクラゲは1センチほどと小さく、飼育も簡単ではないため、常時展示している施設は多くありません。クラゲの展示種数で世界的に知られる鶴岡市立加茂水族館(山形県)をはじめ、クラゲに力を入れている水族館で展示されることがあります。
ただし小型のクラゲは水槽の入れ替わりが早く、行けば必ず会えるとは限りません。目当てにして行くなら、事前に公式サイトやSNSで展示状況を確認しておくのが確実です。
よくある質問(FAQ)
Q. ベニクラゲは本当に不老不死なのですか?
A. 「老化が原因で死ぬ必要がない」という意味では不老不死です。ただし捕食や病気では死にますし、野生でどれだけ長く生きているかを示す記録はありません。
Q. 何回でも若返れるのですか?
A. 回数の上限は分かっていません。確認されている最多記録は、同一個体を連続14回若返らせた飼育実験によるものです。
Q. 若返りはどんなときに起きますか?
A. 水温の急変、ケガ、飢餓といった命に関わるストレスがきっかけです。健康なまま自動的に若返るわけではありません。
Q. ほかに若返る動物はいないのですか?
A. 部分的に体を作り直せる動物はプラナリアやヒドラなど複数いますが、成体から子どもの段階へ丸ごと戻り、それを繰り返せることが実験で示されているのはベニクラゲの仲間だけです。
Q. 若返りの研究は人間の老化に役立ちますか?
A. すぐに応用できる段階ではありません。ただしDNA修復・テロメア維持・幹細胞の管理といった要素は人間の老化研究とも重なるため、比較対象として価値があります。
Q. ベニクラゲに毒はありますか?
A. 刺胞動物なので刺胞は持っていますが、体が1センチほどと小さく、人が海水浴で被害を受けるような種としては知られていません。
まとめ|すごいのは「死なないこと」ではなく「戻れること」
ベニクラゲの本当の驚きは、不死身であることではありません。一度決まった細胞の役割を、もう一度やり直せることです。時間が一方通行ではない生き物が、実際にこの海にいる——それが14回の若返り実験と、2022年のゲノム研究が示した内容でした。
そして同時に、この能力は体がとても小さく単純だからこそ成り立っています。大きな体を持つ動物が選んだのは、若返りではなく寿命のある一生でした。
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