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中山律子さん死去、84歳|ボウリングブームを築いた歩みの年表
結論
- 日本プロボウリング協会は11月7日、元プロボウラーの中山律子さんが同日に亡くなったと発表しました。84歳でした。かねて病気で療養していました。死因は発表されていません。
- 1969年に女子プロの1期生としてデビューし、1970年にはテレビで放送された試合で女子プロ初のパーフェクトを達成。1971年のシャンプーのCMで「さわやか律子さん」と呼ばれ、1970年代のボウリングブームの顔になりました。
- 第一線を退いた後は2004年から日本プロボウリング協会の会長を務め、2017年に殿堂入り。初めてのスコアは85点で、6年後の公式戦で300点を出しました。
ボウリング場の数は日刊スポーツの連載(1995年)による全国のセンター数。
中山律子さんの年表
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1942年10月12日 | 群馬県草津町で、7人きょうだいの3番目として生まれる。4歳で鹿児島へ移る |
| 高校時代 | 鹿児島女子高校でバレーボール部に入り、2度国体に出場 |
| 1961年ごろ | 名古屋の旭精機にバレーボール部員として就職。2年後に部が解散し、鹿児島に戻る |
| 1964〜65年ごろ | 友人に誘われて初めてボウリング。最初のスコアは85点(年は資料により1964年前後・1965年と異なる) |
| 1968年 | 東京タワーボウリングセンターに入社 |
| 1969年6月(26歳) | 第1回女子プロテストに合格。同期の須田開代子さんに最終日に逆転され2位合格。女子プロ1期生に |
| 1970年3月(27歳) | 第1回全日本女子プロボウリング選手権で優勝し、初代女王に |
| 1970年8月21日(27歳) | 府中スターレーンの女子プロ8月月例会で、女子プロ初の公認パーフェクト。テレビで放送され、全国に広まる |
| 1971年6月(28歳) | フェザーシャンプーのCMが全国で放送。「さわやか律子さん」の愛称が定着 |
| 1973年 | 全国のボウリング場が3,370センター・1万2,300レーンに。ブームの頂点 |
| 1995年 | 終生のライバル須田開代子さんが死去。ボウリング葬で弔辞を読む |
| 2004年 | 日本プロボウリング協会の会長に就任(4期8年) |
| 2006年 | ボウリングの新しいリーグ戦「P★League」を立ち上げる |
| 2012年 | 協会の名誉会長に |
| 2017年 | 日本プロボウリング協会の殿堂入り |
| 2026年11月7日(84歳) | 死去。協会が同日発表 |
年齢は生年月日(1942年10月12日)から当サイトで計算。経歴は日刊スポーツの連載(1995年掲載の復刻)と各社の訃報を基本に、日付の細部(1970年8月21日、府中スターレーン、1968年の入社、P★League)はWikipediaによります。
数字で見る「律子さん」のブーム
| 項目 | 数字 | メモ |
|---|---|---|
| 初めてのスコア | 85点 | 6年後の公式戦で300点。差は215点 |
| 1ゲームの料金 | 400円 | 1964年前後 |
| 当時の月給とボウリング代 | 月給1万2000円のうち8000円 | 月給の約3分の2をボウリングに使った |
| プロ入り後の月給 | 4万円 | 所属先との月給制で、初めのころ |
| CM契約金 | 年500万円 | 当時の推定 |
| 全国のボウリング場 | 3,370センター | 1973年。レーンは1万2,300 |
数字は、日刊スポーツが1995年に本人や関係者の証言で連載した「この道」によります。月給の3分の2を練習に注ぎ込んだ努力が、6年での300点につながりました。
人気が爆発したのは、1971年6月から全国で流れたシャンプーのCMでした。「さ・わ・や・か・律子さん」のフレーズと両手を前で合わせるしぐさを、子どもたちがまねしたといいます。テレビのボウリング番組も数多く放送され、女子プロの試合はお茶の間の娯楽になりました。
ライバル須田開代子さんとの時代
1970年代のブームは、中山さんと同期の須田開代子さんの2人が引っ張りました。1969年の第1回女子プロテストでは、3日目までトップだった中山さんを須田さんが最終日に逆転しています。当時は、勘の鋭い中山さんが読売ジャイアンツの長嶋茂雄、完璧主義の須田さんが王貞治にたとえられたといいます。
須田さんが1995年に亡くなると、中山さんは「終生のライバル」として弔辞を読みました。その後は女子ボウラーの団体づくりや、2004年からの協会の会長として、ボウリングの普及に力を注ぎました。
葬儀の予定
日本プロボウリング協会は、葬儀・告別式の予定は確認中だとしています(11月7日時点)。
中山律子さんのよくある質問
Q. 中山律子さんはいつ亡くなりましたか。死因は。
A. 2026年11月7日に亡くなりました。84歳でした。日本プロボウリング協会が同じ日に発表しています。かねて病気で療養していましたが、死因は発表されていません。
Q. 女子プロ初のパーフェクトはいつですか。
A. 1970年8月21日、府中スターレーンで行われた女子プロの8月月例会です。この試合がテレビで放送され、全国に知られました。中山さんは当時27歳でした。
Q. 「さわやか律子さん」の由来は何ですか。
A. 1971年6月から全国で放送されたフェザーシャンプーのCMです。CMの「さわやか律子さん」というフレーズが流行し、そのまま愛称になりました。
Q. 中山律子さんの通算成績は。
A. 通算33勝で、公認パーフェクトは2回です。第1回と第5回の全日本女子プロボウリング選手権で優勝しています。
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出典・参考資料
- スポーツニッポン(Yahoo!ニュース配信):元プロボウラーの中山律子さんが死去 84歳 女子プロ1期生
- 日刊スポーツ(Yahoo!ニュース配信):【復刻連載3】中山律子さん初スコアは85
- NHK:プロボウラーの中山律子さんが死去 一大ブームをけん引 84歳
- Wikipedia(日本語版):中山律子
アイキャッチはボウリング場のイメージ写真(米国)で、中山さんや関係する施設ではありません。写真:Andrew Hitchcock/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)。明るさ調整・文字入れあり。


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