日本の海に、全長2.5メートルを超える巨大な魚が生きていることをご存じでしょうか。その名はヨコヅナイワシ。静岡県沖の駿河湾、水深2,000メートルより深い暗黒の世界で、食物連鎖のいちばん上に君臨する深海魚です。しかもこの魚が新種として発表されたのは、わずか2021年のこと。マグロやクジラのように大きな生き物が、つい最近まで誰にも知られずに日本近海で泳いでいたのです。この記事では、ヨコヅナイワシとはどんな魚なのか、なぜ「横綱」の名がついたのか、そして発見が深海研究に投げかけた問いまで、わかりやすく解説します。
新種として発表
推定2.5m超
頂点捕食者
大相撲の番付
ヨコヅナイワシとは? 基本データでつかむ
ヨコヅナイワシ(学名 Narcetes shonanmaruae)は、セキトリイワシ科クログチイワシ属に分類される深海魚です。海洋研究開発機構(JAMSTEC)を中心とする研究チームが、2021年1月25日に新種として発表しました。論文は英国の科学誌『Scientific Reports』に掲載されています。
採集されたのは駿河湾の湾口付近、水深2,171〜2,572メートルという深さです。名前に「イワシ」とありますが、食卓に並ぶマイワシとはまったく別の系統で、姿はむしろ黒光りする大型のニシンのような、がっしりした魚です。
ポイント:これほど大きな魚が2021年まで人類に知られていなかったこと自体が、深海という場所の「未知の深さ」を物語っています。
名前の由来は大相撲 ― なぜ「横綱」なのか
ヨコヅナイワシという名前は、聞いた瞬間に思わず笑ってしまうユニークさですが、これはちゃんとした命名のルールに沿ったものです。
科の名前が「セキトリ(関取)」だった
この魚が属するのはセキトリイワシ科。「関取」は大相撲で十両以上の力士を指す言葉で、この仲間には体格のよい種が多いことからその名がついています。つまり、もともと相撲の番付にちなんだネーミングの一族なのです。
そこへ、科の中でこれまで報告された中の最大種が現れました。関取の中でも頂点に立つ存在ということで、番付の最高位である「横綱」を冠してヨコヅナイワシと名づけられました。生態系の頂点に立つ捕食者であるという発見内容とも、みごとに重なる命名です。
学名に刻まれた調査船の名前
学名の Narcetes shonanmaruae にある「shonanmaruae」は、調査に使われた神奈川県立海洋科学高等学校の実習船「湘南丸」に由来します。新種発見の舞台となった船の名前が、そのまま世界共通の学名として残されたわけです。高校の実習船が世界の魚類学史に名を刻んだ、なかなか例のない話といえます。
なぜ「深海の頂点捕食者」と言えるのか
ヨコヅナイワシが注目された最大の理由は、その大きさよりもむしろ生態系の中での立ち位置にあります。研究チームは2つの方法から、この魚が駿河湾深部の食物連鎖の頂点にいることを示しました。
① 胃の中から出てきたのは「魚」だった
採集された個体の胃を調べたところ、魚類の痕跡が見つかりました。さらにDNA解析を行うと、深海性のアシロ科の魚の配列が検出されました。セキトリイワシ科の魚は一般にクラゲなどのゼラチン質のプランクトンを主食としますが、ヨコヅナイワシは科の中では例外的に魚を積極的に食べる種だったのです。
② 栄養段階「4.9」という数字
もうひとつの決め手が栄養段階という指標です。これは体内のアミノ酸に含まれる窒素を分析して、その生き物が食物連鎖の何段目にいるかを数値化したもの。植物プランクトンのような生産者を1として、それを食べる生き物が2、さらにそれを食べる生き物が3……と積み上がっていきます。
ヨコヅナイワシの栄養段階は4.9。これは駿河湾でこれまでに調べられた生き物の中で最も高い値でした。数字の上でも、この魚の上に食べる者がいないことが裏づけられたわけです。
豆知識:栄養段階4.9という値は、陸でいえばライオンやオオカミのような立場に相当します。光の届かない水深2,000メートルの世界にも、きちんと「王者」の座があるということです。
全長2.5メートル超 ― 映像がとらえた本当の大きさ
2021年の発表時点で確認されていたのは、全長122〜138センチの4個体でした。ところが翌年、この魚の姿はさらに大きく塗り替えられます。
JAMSTECの藤原義弘上席研究員らのチームは、えさ(サバの切り身)とライトを取りつけたベイトカメラと呼ばれる無人の撮影装置を深海に沈める調査を行いました。水深2,091メートルで回収された映像に映っていたのは、推定全長250センチを超える巨大なヨコヅナイワシだったのです。
水深2,000m以深の「大型魚」は世界でもごくわずか
この2.5メートルという数字がどれほど異例か。JAMSTECによれば、水深2,000メートルより深い海に固有の、全長2メートルを超える大型の硬骨魚は2種類しか見つかっていません。ヨコヅナイワシと、タラの仲間であるムネダラです。
深海は生き物にとってエネルギーの乏しい世界です。太陽の光が届かないため植物が育たず、食べ物は主に上の層から降ってくる有機物(マリンスノー)に頼ることになります。そんな環境で体を2メートル以上に育てるには、効率よく獲物を捕らえ続けなければなりません。ヨコヅナイワシの巨体そのものが、この魚が深海で狩りに成功し続けている証拠だといえます。
発見から現在までの歩み
実習船「湘南丸」による深海延縄(はえなわ)調査で、駿河湾の水深2,171〜2,572メートルから4個体を採集。見慣れない大型魚として研究が始まる。
形態観察とミトコンドリアゲノム解析の結果、既知のどの種とも異なる新種と判明。「ヨコヅナイワシ」と命名され、Scientific Reports誌で発表される。
駿河湾だけでなく、本州のはるか南に位置する海山の周辺にも生息していることが確認される。分布は想定より広かった。
サンシャイン水族館の調査チームが駿河湾・焼津沖の水深2,200メートル付近で全長約135センチ・体重34.6キログラムの個体を採集。世界7例目の貴重な記録となる。
サンシャイン水族館の深海イベントで、その冷凍標本が日本で初めて一般公開され、大きな話題を呼ぶ。
ヨコヅナイワシの発見が投げかけた問い
この発見のいちばん重要な意味は、「珍しい魚が1種増えた」ことではありません。生態系の頂点にいるほど目立つ存在すら、私たちは見落としていたという事実にあります。
陸上の生態系を考えるとき、頂点捕食者は真っ先に把握される存在です。アフリカのサバンナでライオンの存在が2021年まで知られていなかった、というようなことは起こりえません。ところが深海では、それが実際に起きました。JAMSTECの研究者は、深海生態系については99パーセント以上が未解明だと語っています。
海は地球の表面のおよそ7割を占め、その平均水深は約3,800メートル。つまり地球上でもっとも広い生息環境は、実は深海なのです。そこに暮らす生き物の多くが、まだ名前すらついていません。ヨコヅナイワシは、その広大な空白地帯からたまたま姿を現した一匹にすぎない、と考えることもできます。
まとめ:ヨコヅナイワシは、日本の海に「まだ見つかっていない大物」が眠っていることを示した魚です。深海探査が進めば、これを超える発見が出てくる可能性も十分にあります。
あわせて読みたい
よくある質問(FAQ)
Q. ヨコヅナイワシはどこにいますか?
A. 静岡県沖の駿河湾の深部、水深およそ2,100〜2,600メートルで確認されています。2022年には本州のはるか南にある海山の周辺にも生息していることがわかり、駿河湾だけの魚ではないことが判明しました。いずれも人が簡単に近づける場所ではなく、調査船と専用機材が必要な深さです。
Q. ヨコヅナイワシの大きさはどれくらいですか?
A. 2021年の新種発表で調べられた4個体は全長122〜138センチ、体重14.8〜24.9キログラムでした。さらに2022年のベイトカメラ調査では、水深2,091メートルで推定全長250センチを超える個体が撮影されています。セキトリイワシ科では最大種です。
Q. なぜヨコヅナイワシという名前なのですか?
A. この魚が属するセキトリイワシ科の「セキトリ」が大相撲の関取に由来しており、その中で最大の種であることから、番付の最高位である「横綱」が名前に使われました。学名の Narcetes shonanmaruae は、発見のきっかけとなった実習船「湘南丸」にちなんでいます。
Q. ヨコヅナイワシは何を食べているのですか?
A. 他の深海魚を食べる魚食性です。胃の内容物から魚類の痕跡が見つかり、DNA解析では深海性のアシロ科の魚の配列が検出されました。ゼラチン質のプランクトンを主食とする科の仲間の中では、例外的な食性の持ち主です。
Q. ヨコヅナイワシは食べられますか?
A. 一般に流通することはなく、食用の対象にはなっていません。生息水深が2,000メートルを超えるため漁の対象にならず、これまでに採集された個体は世界でも数えるほどしかありません。捕獲されたものはいずれも貴重な研究標本として扱われています。
Q. ヨコヅナイワシは水族館で見られますか?
A. 生きた個体の展示は行われていません。水深2,000メートル級の高水圧・低水温の環境を水槽で再現することが極めて難しいためです。ただし2023年1月にサンシャイン水族館の深海イベントで冷凍標本が日本で初めて公開され、その姿を実際に見る機会がありました。
参考文献・出典
- 海洋研究開発機構(JAMSTEC)プレスリリース「新種の巨大深海魚『ヨコヅナイワシ』を発見 ― 駿河湾深部に潜むアクティブなトップ・プレデター ―」(2021年1月25日)
- JAMSTEC BASE「深海の頂点捕食者“ヨコヅナイワシ”撮影秘話 ― 深海生態系の謎に挑む vol.1」(2022年)
- JAMSTEC BASE「深海生態系の99%以上は謎なんです! ― 深海生態系の謎に挑む vol.2」(2022年)
- サンシャイン水族館 プレスリリース「世界7例目の採集『ヨコヅナイワシ』の冷凍標本を日本初公開」
- 科学技術振興機構 Science Portal「駿河湾で見つかった巨大深海魚は新種『ヨコヅナイワシ』と命名、食物連鎖の頂点か」
本記事は公開されている報道および学術情報にもとづいて作成しています。深海生物の生態には未解明の部分が多く、今後の調査によって記録や見解が更新される可能性があります。最新の情報は各研究機関の公式発表をご確認ください。
あわせて読みたい
動物の雑学・生態まとめ60選|犬猫の飼い方から珍獣まで一気読み

コメント