深海にひっそりと暮らすダイオウグソクムシは、「5年以上も何も食べずに生き続けた」という驚くべき記録で一躍有名になりました。三重県の鳥羽水族館で飼育されていた個体「No.1」は、最後にアジを一匹口にしてから5年43日ものあいだ絶食を続け、それでも痩せることなく生き続けたのです。
では、ダイオウグソクムシはなぜ絶食できるのでしょうか。長らく「深海の神秘」として片づけられてきたこの謎に、2026年6月、科学誌『Cell』に掲載された最新研究がついに答えを出しました。鍵を握っていたのは、体の約3分の2を占める巨大な胃と、微生物から受け継いだ遺伝子が生み出す極端な省エネ体質という「二段構え」の生存戦略でした。
この記事では、伝説となった鳥羽水族館No.1の絶食記録をたどりながら、最新の科学が明らかにしたダイオウグソクムシが食べなくても平気な理由を、専門用語をかみ砕いて解説します。さらに、あまり語られない寿命や意外な弱点、近縁種との違い、そして飼育の現実までを網羅しました。読み終えるころには、この不思議な深海生物が「究極の省エネ生存術」の達人であることが腑に落ちるはずです。
ダイオウグソクムシとは?深海に潜む「最大級のダンゴムシの仲間」
ダイオウグソクムシ(学名 Bathynomus giganteus)は、甲殻類のなかでも等脚目(とうきゃくもく/Isopoda)というグループに属する深海生物です。等脚目と聞いてもぴんと来ないかもしれませんが、庭先の石をどけると丸まっているダンゴムシや、堤防を素早く走り回るフナムシと同じ仲間だといえば、その姿かたちに納得がいくでしょう。
つまりダイオウグソクムシは、ごく身近な生き物の「深海版・巨大バージョン」なのです。名前に「ムシ」とつくため昆虫と誤解されがちですが、系統としてはむしろエビやカニに近い存在です。
大きさ・分布・体のつくり
最大の特徴はやはりそのサイズです。体長は大きな個体で40〜50センチメートル前後に達し、等脚類としては世界最大級を誇ります。数センチにしかならないダンゴムシと比べれば、その巨大さは異様ですらあります。
主な生息域はメキシコ湾からカリブ海にかけての大西洋西部で、水深はおよそ200メートルから1,000メートルを超える深海底。光の届かない、水温がおおむね摂氏4度前後という冷たく暗い世界です。体は硬い外骨格に覆われ、頭部・胸部・腹部がくっきりと分かれ、七対の胸脚(きょうきゃく)で海底を歩き回ります。
大きな複眼は数千個の個眼が集まったもので、わずかな光も逃さないように発達しています。危険を感じるとダンゴムシと同じように体を丸め、硬い背中だけを外に向けて身を守ります。
なぜ深海の生き物は大きくなるのか
ダイオウグソクムシの巨大さは、深海巨大症(しんかいきょだいしょう/deep-sea gigantism)と呼ばれる現象の代表例としてしばしば挙げられます。これは、深海に棲む生物が浅海の近縁種に比べて著しく大きくなる傾向を指す言葉です。
その理由については複数の説がありますが、有力なのは次の三つです。第一に、低い水温が代謝を遅らせ、成熟までの時間を長くすることで結果的に体が大きくなるという説。第二に、体が大きいほど体積に対する表面積の割合が小さくなり、エネルギーを保持しやすくなるという説。そして第三に、餌が極端に乏しい深海では、一度にたくさん食べて長く蓄えられる大きな体が有利だという説です。
この三つ目の説は、後述する絶食耐性の話と地続きになっています。大きな体は、そのまま「大きな貯蔵庫」を意味するからです。
「5年43日絶食」— 鳥羽水族館No.1の伝説的記録
ダイオウグソクムシの名を日本中に知らしめたのが、三重県の鳥羽水族館で飼育されていた個体、通称「No.1」です。この一匹が打ち立てた記録は、いまなお語り草になっています。
2009年に食べたアジが、最後の食事だった
No.1が鳥羽水族館にやって来たのは2007年9月9日のことでした。当初は餌を口にすることもありましたが、記録に残る最後の食事は2009年1月2日。このとき、約50グラムのアジを一匹だけ平らげています。
ところが、それ以降はどれだけ餌を差し出しても、いっさい口をつけようとしませんでした。イカを与えても、アジを与えても、まったく反応しない。それでいて死ぬ気配はなく、水槽の底でただじっとしている。飼育員たちの困惑をよそに、絶食日数は一年、二年と積み重なっていきました。
そして2014年2月14日、No.1は静かに息を引き取ります。最後の食事から数えて、絶食日数は5年43日(1,869日)。入館からの生存日数は6年158日(2,350日)に及びました。この間、この生き物はほとんど何も食べていなかったのです。
| 入館日 | 2007年9月9日 |
|---|---|
| 最後に食べた日 | 2009年1月2日(アジ約50グラム) |
| 死亡日 | 2014年2月14日 |
| 絶食日数 | 5年43日(1,869日) |
| 生存日数 | 6年158日(2,350日) |
No.1を入館時から世話し続けた飼育員の森滝丈也(もりたき たけや)さんは、その死に際して「最後まで餌を食べさせることができず残念だ」と語る一方、この個体をきっかけにダイオウグソクムシの認知度が大きく上がったことへの感謝も口にしています。飼育のプロフェッショナルですら手を焼き、そして見送るしかなかった。その事実自体が、この生き物の異様さを物語っています。
解剖でわかったこと — 空っぽの胃と、青紫に固まる体液
死亡が確認された直後、鳥羽水族館はNo.1の解剖を行いました。ここで観察されたことが、絶食の謎を考えるうえで重要な手がかりになります。
まず胃の中から固形の未消化物はまったく見つかりませんでした。胃の内部は淡褐色の液体で満たされていたといいます。5年前に食べたアジが未消化のまま残っていた、というロマンのある推測はここで否定されたことになります。
もうひとつ、印象的な現象が記録されています。腹腔内から流れ出た体液は、はじめのうちは無色透明でさらさらした液体でしたが、空気に触れると青紫色に変色し、ゼリー状に硬化したというのです。
これは奇怪な現象に見えて、実は理にかなっています。ダイオウグソクムシをはじめとする多くの甲殻類は、酸素を運ぶ色素としてヘモシアニンを使っています。ヒトの血が赤いのは鉄を含むヘモグロビンのためですが、ヘモシアニンは銅を含み、酸素と結合すると青く発色します。空気に触れて酸素と結びついた瞬間に青紫へ転じたのは、まさにこのためです。深海生物が「青い血」を持つといわれる所以でもあります。
そもそもなぜ絶食するのか?「拒食」と「絶食耐性」は別物
ここで、混同されがちな二つの概念を整理しておきましょう。ダイオウグソクムシの話には、「なぜ食べないのか(拒食)」と「なぜ食べなくても死なないのか(絶食耐性)」という、性質のまったく異なる二つの問いが同居しています。
前者、つまり「なぜ食べようとしないのか」については、実のところ確定的な答えは出ていません。飼育環境のストレス、水温や水圧が本来の生息環境と違うこと、与えられる餌が自然界のものと異なること、あるいは個体差など、さまざまな要因が指摘されてきました。野生下のダイオウグソクムシは死んだ魚やクジラの遺骸に群がって旺盛に食べることが知られており、「食べない生き物」ではなく「食べられるときに食べる生き物」だと考えるほうが正確です。
一方、後者の「なぜ食べなくても死なないのか」こそが、生物学的にはるかに興味深い問いでした。ヒトであれば水だけで一か月ほどが限界とされます。それを5年です。この隔たりを説明するには、体のしくみそのものに踏み込む必要がありました。そして2026年、その答えが提示されたのです。
【最新研究】2026年『Cell』が解明した”二段構え”の生存戦略
2026年6月5日、科学誌『Cell』に、中国科学院海洋研究所(IOCAS)の研究チームによる論文が掲載されました。タイトルは「深海の巨大生物は、超長期の飢餓に耐えるために微生物のエネルギー代謝遺伝子を転用している」という趣旨のもの。研究チームは複数のオミクス解析(ゲノム・トランスクリプトームなどを横断的に調べる手法)と機能実験を組み合わせ、ダイオウグソクムシの仲間がなぜ絶食に耐えられるのかを多角的に検証しました。
調査対象となったのは、生息水深の異なる二種の等脚類です。水深約898メートルに暮らす Bathynomus jamesi と、より浅い約300メートルに暮らす Bathynomus doederleini。深さの違う二種を比較することで、深海適応の度合いと絶食耐性の関係を浮かび上がらせようという設計です。
結論は明快でした。彼らの絶食耐性は、単一の魔法ではなく、「大量に蓄える」と「ほとんど使わない」という二つの仕組みの掛け算によって成り立っていたのです。
その一:体の約3分の2を占める「巨大な胃」という食いだめ倉庫
研究チームがまず着目したのは、体内の構造でした。ダイオウグソクムシの仲間は、体のおよそ3分の2が胃という、常識外れの体内配分を持っていたのです。これは、潮間帯や浅い海に暮らす近縁の等脚類と比べても、桁違いに大きな割合でした。
想像してみてください。もし人間の胴体の3分の2が胃だったら、と。ダイオウグソクムシは、いわば歩く食料倉庫なのです。餌にありついたときには、この巨大な胃にこれでもかと詰め込み、そのエネルギーを何年もかけてゆっくりと引き出していく。「食いだめ」という言葉そのものの体現です。
ここで、先の解剖所見を思い出してください。No.1の胃に固形物がなかったことは、この説と矛盾しません。5年という歳月をかけて、蓄えは液状の残滓を残すのみとなるまで、丁寧に使い切られていたと考えられるからです。
その二:極端に低い基礎代謝(BMR)— 生きたまま省エネモードに入る
しかし、いくら大量に蓄えても、消費が速ければ底をつきます。そこで働くのが第二の仕組み、基礎代謝率(BMR:Basal Metabolic Rate)の極端な低さです。基礎代謝率とは、生き物がじっとしているだけで消費する最低限のエネルギー量のこと。呼吸や体の維持にどうしても必要な「生存の固定費」だと考えるとわかりやすいでしょう。
ダイオウグソクムシの仲間は、この固定費が異様に低いのです。水温4度前後の冷たい深海で、ほとんど動かず、じっと海底に伏せている。何もしないでいるときに消費するわずかなエネルギーすら、極限まで切り詰めている——研究はそれを裏づけました。
大量に蓄える巨大な胃と、極端に節約する低代謝。この二つが噛み合ったとき、5年という絶食記録が現実のものになります。
その三:微生物から受け継いだ遺伝子「ND1」という驚きの発見
そして、この研究でもっとも研究者たちを驚かせたのが、遺伝子レベルでの発見でした。ダイオウグソクムシの仲間が持つ ND1 という遺伝子が、動物の祖先から受け継いだものではなく、微生物に由来するらしいことが示されたのです。
異なる種のあいだで遺伝子が受け渡される現象を遺伝子水平伝播(いでんしすいへいでんぱ/horizontal gene transfer)と呼びます。親から子へ縦に受け継がれる通常の遺伝とは違い、いわば横から遺伝子を「もらう」現象で、細菌の世界ではよく知られていますが、これほど大きな動物で機能的な役割を担う例が見つかるのは珍しいことです。
さらに興味深いのは、この遺伝子の働き方です。ふつう、エネルギー代謝に関わる遺伝子を手に入れれば「もっとパワフルになる」方向を想像します。ところがND1は逆でした。研究によれば、ND1は酸素の消費とミトコンドリアの活性を下げる方向に作用し、その効果は低温下でとくに顕著だといいます。ミトコンドリアは細胞内でエネルギーを生み出す器官ですが、ND1はそのエンジンの回転数を意図的に落とすのです。
つまりダイオウグソクムシは、微生物からもらった遺伝子を「出力を上げるため」ではなく「低出力状態へ切り替えるため」に転用したことになります。冷たい深海で、生きたままアイドリング状態に入る。この発想の転換こそが、彼らを絶食の王者たらしめている正体でした。
| 要素 | 内容 | たとえるなら |
|---|---|---|
| 巨大な胃 | 体の約3分の2を占め、餌を大量に貯蔵する | 燃料タンクが極端に大きい |
| 極低の基礎代謝 | 何もしないときの消費エネルギーが著しく少ない | 燃費が桁違いに良い |
| 遺伝子ND1 | 微生物由来。酸素消費とミトコンドリア活性を低温下で抑える | エンジンを低回転で回し続ける制御装置 |
深海の食料事情 — マリンスノーと、クジラの遺骸という大宴会
なぜ、こんな極端な体になる必要があったのでしょうか。答えは、彼らが暮らす環境の過酷さにあります。
光の届かない深海には、光合成をする植物がありません。したがって、そこに暮らす生き物が口にできる食べ物は、基本的に上の世界から降ってくるものに限られます。海の表層で死んだプランクトンや生物の破片、排泄物などが、雪のようにゆっくりと沈んでいく。これをマリンスノーと呼びます。詩的な名前ですが、量としてはごくわずかで、これだけで大きな体を養うのは容易ではありません。
そこにときおり、破格の恵みが訪れます。クジラのような大型動物の死骸が海底に沈むのです。これは鯨骨生物群集(げいこつせいぶつぐんしゅう/whale fall)と呼ばれ、数十年にわたって深海の生態系を支える一大イベントとなります。ダイオウグソクムシは、こうした遺骸に真っ先に群がる腐肉食者(スカベンジャー)の代表格です。
ここで、彼らの置かれた状況を整理してみましょう。ごちそうはいつ来るかわからない。だが、来たときには途方もない量がある。この「飢餓と暴食が極端に振れる」環境で生き延びるには、来たときに限界まで詰め込み、来ないあいだは消費を限りなくゼロに近づけるしかありません。巨大な胃も、極端な低代謝も、この一点に向けて磨かれた適応だったのです。
絶食は、彼らにとって異常事態ではありません。デフォルトの状態なのです。
絶食を支える体のしくみ — 青い血と、変温性という味方
もう少しだけ、体のつくりに踏み込んでみましょう。ダイオウグソクムシの省エネ体質には、ほかにも二つの後押しがあります。
ひとつは、すでに触れたヘモシアニンです。銅を含むこの酸素運搬色素は、鉄を使うヘモグロビンに比べると酸素運搬効率そのものは劣るとされますが、低温・低酸素の環境では相対的に有利に働くという性質を持っています。冷たく酸素の乏しい深海で活動するには、むしろ理にかなった選択なのです。
もうひとつは変温動物であることです。ヒトのような恒温動物は、外気温が下がっても体温を一定に保つために絶えず熱を作り続けなければなりません。この体温維持コストは、実は基礎代謝のかなりの部分を占めています。対してダイオウグソクムシは、周囲の水温と同じ温度でかまわない。体温を保つための燃料が、まるごと不要なのです。
水温4度という冷たさは、彼らにとって試練ではなく味方でした。低温は化学反応を遅らせ、生命活動そのものをスローモーションにします。ND1遺伝子の効果が低温下でとくに強く現れるという研究結果も、この文脈で読むと腑に落ちます。深海の寒さこそが、彼らの省エネ機構のスイッチを入れているのです。
ダイオウグソクムシの寿命はどれくらい?
これほど代謝が遅いなら、寿命も長いのではないか——そう考えるのは自然です。実際、代謝速度と寿命には負の相関があるという考え方は、生物学で古くから議論されてきました。速く生きる者は早く死に、ゆっくり生きる者は長く生きる、というわけです。
ただし、ダイオウグソクムシの正確な寿命はまだよくわかっていません。深海という調査困難な場所に暮らすため、野生個体を長期追跡することがきわめて難しいからです。鳥羽水族館のNo.1は入館から6年158日を生きましたが、入館時点ですでに成体でしたから、これは寿命そのものではなく「飼育下での生存期間」にすぎません。実際の寿命は十数年、あるいはそれ以上と推定されていますが、確定した数字ではないことに注意が必要です。
この「ゆっくり生きる者は長生きする」という原則は、深海に限った話ではありません。地中で低酸素・低代謝の暮らしを営み、げっ歯類としては異例の長寿を誇るハダカデバネズミもまた、同じ法則の上を歩いている生き物だといえるでしょう。
意外な弱点 — 「絶食に強い」だけではない
ここまで読むと、ダイオウグソクムシは無敵の生物のように思えてきます。しかし、彼らの強さはあくまで「特定の環境に、極端に最適化された強さ」であり、そこを一歩出ると途端に脆さを露呈します。
- 高い水温に弱い:冷たい深海に最適化されているため、水温が上がると代謝が跳ね上がり、省エネ機構が破綻します。あの低代謝は、低温という前提の上に成り立っています。
- 飼育下で餌を食べなくなる:No.1の例が示すとおりです。絶食に耐えられてしまうがゆえに、拒食の原因を突き止める前に年月だけが過ぎていきます。
- 繁殖の飼育がきわめて難しい:生態そのものが未解明の部分が多く、水族館での繁殖成功例はほとんどありません。
- 成長が遅い:低代謝は成長速度の遅さと表裏一体です。一度個体数が減ると、回復に長い時間がかかります。
- 環境変化と混獲に弱い:深海底引き網などによる混獲や、深海環境そのものの変化に対して、繁殖の遅さが不利に働きます。
「絶食に強い」ことと「あらゆる環境に強い」ことは、まったく別なのです。この構図は、極限環境への耐性で知られるクマムシとも共通しています。クマムシもまた、乾眠という特殊な状態でこそ驚異的な耐性を発揮しますが、活動状態ではごく普通に脆い生き物です。最強生物と呼ばれる者たちは、たいてい「ある一点においてのみ最強」なのです。
同じ深海には、姿を現すたびに”地震の前兆”と騒がれてきた魚もいます。その言い伝えが本当かどうかは、リュウグウノツカイはなぜ地震の前兆と言われるのかで科学データをもとに検証しています。
近縁種との違い — オオグソクムシ・ダンゴムシ・フナムシ
「ダイオウグソクムシ」と「オオグソクムシ」は名前がよく似ており、しばしば混同されます。しかし両者は別種です。
| 種名 | 体長の目安 | 主な生息場所 |
|---|---|---|
| ダイオウグソクムシ | 40〜50センチ前後 | メキシコ湾・カリブ海の深海 |
| オオグソクムシ | 10〜15センチ前後 | 日本近海の深海(駿河湾など) |
| フナムシ | 3〜5センチ前後 | 海岸の岩場・堤防 |
| ダンゴムシ(オカダンゴムシ) | 1センチ前後 | 陸上の落ち葉の下など |
日本の水族館で「グソクムシ」として展示されている個体の多くは、実はサイズの小さいオオグソクムシのほうです。ダイオウグソクムシは日本近海には分布しておらず、輸入された個体が飼育されています。ちなみに『Cell』の研究で調べられた Bathynomus doederleini は、日本近海にも分布するオオグソクムシにあたる種です。
とはいえ、これらはすべて等脚目という同じグループの一員であり、体を丸める習性や体節の構造といった基本設計は共通しています。庭のダンゴムシと深海の巨人が親戚だという事実は、それだけで一つの動物の雑学として語る価値があるでしょう。
人との関わり — 「ぐそくむし煎餅」から深海ブームまで
No.1の絶食が話題になった2010年代前半、日本では小さな深海生物ブームが起こりました。鳥羽水族館の売店で販売された「グソクムシ煎餅」は、その象徴的な存在です。姿を模した煎餅は土産物として人気を博し、この地味な深海生物の名を一気に押し上げました。
食用としての側面もあります。台湾では実際にダイオウグソクムシの仲間を具材に用いたラーメンが提供され、話題を呼びました。味はエビやカニに近いといわれ、可食部は少ないながらも甲殻類らしい旨味があるとされています。日本でも一部の水族館イベントや飲食店で、素揚げなどにして提供された例があります。
とはいえ、彼らが本来担っている役割は、食材でも土産物でもありません。海底に沈んだ遺骸を分解し、栄養を生態系へ還す「深海の掃除屋」としての仕事です。彼らがいなければ、深海には分解されない遺骸が積み上がるばかりでしょう。そうした珍しい動物たちの一匹一匹が、目に見えないところで生態系を支えています。
家庭で飼える?飼育の現実と難しさ
その独特の姿から「飼ってみたい」と考える人もいるようですが、結論からいえば一般家庭での飼育は現実的ではありません。
理由は明白です。第一に、水温を常時摂氏4〜10度程度に保つ専用の冷却設備が必要です。第二に、深海性の生物であるため入手経路がきわめて限られ、価格も高額になります。第三に、そして最大の問題として、餌を食べてくれるとは限らないのです。No.1の例が示すとおり、プロの飼育員が5年をかけても食べさせられなかった相手です。
さらに、生きたまま長期飼育した場合の健康状態を判断する指標も確立していません。「じっとしているのが正常なのか、弱っているのか」を見分けることすら難しい。この生き物は、水族館という設備と専門知識のある環境でこそ、かろうじて飼育が成り立っています。
まとめ:ダイオウグソクムシが教えてくれる「省エネ生存術」
ダイオウグソクムシがなぜ絶食できるのか。長らく神秘のベールに包まれてきたこの問いに、いまや科学は明確な輪郭を与えました。改めて整理しておきましょう。
- 体の約3分の2を占める巨大な胃が、餌を大量に蓄える倉庫として機能する。
- 極端に低い基礎代謝率が、蓄えを何年ももたせるほど消費を抑え込む。
- 微生物由来の遺伝子ND1が、低温下で酸素消費とミトコンドリア活性をさらに下げる。
- 変温性とヘモシアニンが、冷たい深海での省エネ体質を後押しする。
- これらはすべて、いつ来るかわからないごちそうを待ち続ける深海の食料事情への適応である。
鳥羽水族館のNo.1が5年43日を絶食して生き抜いたのは、奇跡でも根性でもありませんでした。それは、光の届かない海の底で、気の遠くなるような時間をかけて磨き上げられた生存戦略の必然的な帰結だったのです。
私たちはつい、強さを「速さ」や「力」で測ってしまいます。しかしダイオウグソクムシが体現しているのは、まったく逆の価値観です。使わないこと。動かないこと。待つこと。それもまた、地球上で生き延びるための立派な戦略のひとつなのだと、この深海の巨人は静かに教えてくれます。
よくある質問(FAQ)
Q. ダイオウグソクムシは本当に5年も食べなくて平気なのですか?
はい。三重県の鳥羽水族館で飼育されていた個体「No.1」が、2009年1月2日に約50グラムのアジを食べたのを最後に、2014年2月14日に死亡するまで5年43日(1,869日)にわたって絶食を続けた記録が残っています。この間、餌を与えても口をつけようとしませんでした。
Q. ダイオウグソクムシはなぜ絶食できるのですか?
2026年6月に科学誌『Cell』へ掲載された中国科学院海洋研究所の研究によれば、体の約3分の2を占める巨大な胃に餌を大量に蓄える能力と、極端に低い基礎代謝率による省エネ体質の組み合わせが理由です。さらに、微生物由来と考えられる遺伝子ND1が、低温下で酸素消費とミトコンドリアの活性を下げる働きをしていることも明らかになりました。
Q. 絶食中も体重は減らないのですか?
ほとんど減らないと報告されています。鳥羽水族館のNo.1も、死亡後の解剖時に痩せ細った様子は確認されませんでした。基礎代謝が極限まで抑えられているため、体組織を切り崩す速度が非常に遅いと考えられます。ただし胃の中には固形の未消化物は残っておらず、蓄えは長い年月をかけて使い切られていたとみられます。
Q. ダイオウグソクムシの寿命は何年ですか?
正確な寿命はわかっていません。深海に生息するため野生個体の長期追跡が難しいためです。鳥羽水族館のNo.1は入館から6年158日を生きましたが、入館時点ですでに成体だったため、これは寿命そのものではありません。代謝の遅さから十数年以上と推定されていますが、確定した数値ではないと理解しておくのが正確です。
Q. クマムシとどちらが「最強」ですか?
比べる軸が異なるため、単純な優劣はつけられません。クマムシは乾眠状態での真空・放射線・極低温への耐性が突出しており、ダイオウグソクムシは活動したまま何年も飢餓に耐える点で突出しています。前者は「仮死状態での耐久」、後者は「生きたままの省エネ」の王者だといえるでしょう。
Q. ダイオウグソクムシは食べると美味しいのですか?
可食部は少ないものの、味はエビやカニに近いといわれます。台湾ではダイオウグソクムシの仲間を具材にしたラーメンが提供されて話題になり、日本でも水族館のイベントなどで素揚げにして振る舞われた例があります。ただし一般的な食材として流通しているわけではありません。
Q. オオグソクムシとの違いは何ですか?
別種であり、最大の違いはサイズです。ダイオウグソクムシは体長40〜50センチ前後に達し、メキシコ湾やカリブ海の深海に生息します。一方オオグソクムシは体長10〜15センチ前後で、駿河湾など日本近海の深海に分布します。日本の水族館で見られる「グソクムシ」の多くはオオグソクムシのほうです。
Q. ダイオウグソクムシは深海のどこに棲んでいますか?
主にメキシコ湾からカリブ海にかけての大西洋西部、水深およそ200メートルから1,000メートルを超える深海底に生息しています。水温が摂氏4度前後という冷たく暗い環境で、海底を歩き回りながら沈んできた生物の遺骸を食べて暮らしています。
参考文献・出典
- 鳥羽水族館「ダイオウグソクムシについてのお知らせ」および飼育日記(No.1の絶食記録・解剖所見)
- Institute of Oceanology, Chinese Academy of Sciences(中国科学院海洋研究所), “Deep-Sea Megafauna Co-Opts Microbial Energy Metabolism Genes to Withstand Ultra-Long Starvation”, Cell, 2026年6月5日
本記事は公開されている報道および学術論文の情報にもとづいて作成しています。生物の生態には未解明の部分が多く、今後の研究によって見解が更新される可能性があります。最新の情報については、各水族館および研究機関の公式発表をご確認ください。
あわせて読みたい
動物の雑学・生態まとめ60選|犬猫の飼い方から珍獣まで一気読み

コメント